表題 O-65 富岡村、柚ノ木谷、小堤絵図
地方 武雄市
佐賀県
地区 武雄町冨岡他
長辺 0.995m
短辺 0.55m
作成年代 江戸時代
作成者
指定等
修復履歴
備考 『武雄史』の「蓬莱山広福護国禅寺」の項に「柚木の谷清水屋敷附近一面には一筋に広福寺の塔頭(末寺)十一庵が建ち並び武雄の繁昌区域は現今の内町一円であつた。」とあり、廣福寺が応仁の乱などにより本山とのつながりを断たれて衰退する以前の隆盛ぶりが伺われる。また、同じ項に「釈迦堂の天上には田中守周の筆に成る一眼の竜あり、二眼とする時は精を得て飛出し柚木の谷の堤に入るべしと言伝へる。守周は湯町の町人田中久右エ門の子にして本名を与四左エ門と云ふ。絵に巧みなるを以て武雄領主二十三代鍋島茂紀より絵師に起用せられた人である。」ともある。観音堂の築造時期については「茂紀は寛文二年家督を受け宝永七年隠居した。元禄四年大癡明根和尚の記録に釈迦堂がないことより見れば其以後宝永七年までの間に築造せられたものと推察せられる。」とある。

※絵図のデータ化に際しては「武雄の古きよき文化・歴史を再発見する協議会」及び文化庁の平成24年度「文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業」の協力を得ました。

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