表題 | O-85 名古屋の図(肥前名護屋城古城之図) |
地方 | 唐津市 |
県 | 佐賀県 |
地区 | 鎮西町 |
長辺 | 1,330mm |
短辺 | 1,090mm |
作成年代 | 江戸時代 |
作成者 | |
指定等 | |
修復履歴 | |
備考 | 豊臣秀吉は文禄・慶長2回の朝鮮出兵に際し、前線基地として唐津市鎮西町に肥前名護屋城を築城した。その周辺には全国の各大名の陣屋が設けられた。この図は、その陣屋の配置を示した図である。朝鮮出兵には武雄後藤家も参戦し、天正20(1592)年3月26日には第20代家信が、佐賀藩藩祖鍋島直茂の部下として700名の家臣を率いて伊万里港から渡海した。朝鮮では徳原城を守り、文禄3年正月帰朝。慶長2(1597)年2月、再び渡海し、この時は竹島の側城を守ったが病で帰朝。21代茂綱が同年3月15日、父家信に代わって渡海している。 |
※絵図のデータ化に際しては「武雄の古きよき文化・歴史を再発見する協議会」及び文化庁の平成24年度「文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業」の協力を得ました。
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